◇授業では,よく次のように言われることがあります。
1 子どもに学習を任せるべきだ
2 子どもに問題解決をさせるべきだ
3 教師は支援をしていればよい
これは本当なのでしょうか?
◇もっとわかりやすく言えば,次のような論争があるのです。
1 教師が教えるのではなく,体験させて子どもに発見させよ。
2 体験だけさせて気付かせるのは無理なので,教師が教えよ。
◇ところで,こういった問題は,昔から意識されています。
例えば,理科の世界では,昭和33年度改訂の文部省発行の中学理科指導書でも,取り上げられています。
ここでは,「生活学習か系統学習か?」のように,対立している現状を挙げています。
そして,はっきり述べているのです。
「理科教育に関する基本的な考え方を検討するとき,知識か能力か,あるいは,生活学習か系統学習かなどのように対立する形で論ずることが多い。両極端を掲げて,そのどちらに立つべきかを論ずる方式である。このような検討のしかたは,問題点を明確にする点で意味があるが,実際の指導は,両極端の一方だけに立って行われるものではない。両極端に片寄ることなく,その中間に立って,両者の長所を取り入れることが好ましいのである。知識か能力かのいずれかでなく,知識,能力,態度のいずれをも伸ばすこと,生活学習か系統学習かのいずれかでなく,生活上の問題や経験を重視し,しかも系統的な理解を得させる事などが可能であり,それが望ましいのである。(pp.1-2)」
なるほど,と思います。
◇論争をするときに,論点が出しやすいので,多くの学者先生は,「教えるのが大切だ」,「教えないのが大切だ」と二元論で論争してしまうのです。
現場の教師は,冷静に考えなくてはなりません。
歴史に学ぶということも効果的です。
例えば,大正自由主義教育の実践を読めば,「教師が教えなさすぎ」の実践の結末が,どうなったかよくわかります。
授業技術や方法が未熟なうちは,誰もが「教えすぎ」の授業になりがちです。
「教えすぎ」の実践は,多くの人が経験して通る道と言えるかもしれません。
ちなみに,大正自由主義教育の実践を読めば,「生活科」や「総合的な学習の時間」が生まれた理由がよくわかります。
「教えすぎ」と「教えなさすぎ」の答えは,もう大正時代に実験的に授業をやってみて,その結論が出ているのです。
◇「役に立たない教育学サヨウナラ」と言われたのは,40年前。
現場は,役に立つ教育学を求めています。切望しています。
そして,教師を目指す学生さんも,役に立つ「理論」と「実践」を求めています。
理論の長所を生かす実践をしていくことこそ,現場の教師の務めです。