本文へスキップ

子どもの可能性を引き出し,伸ばす

教師の資質を高める 

フィロソフィアはありますか 


 

◇子どもは,知的好奇心があれば,進んで学ぶ存在です。

 なぜ,進んで学ぶかと言えば,「自分はこのことについてまだよく知らない。」という思いがあるからです。

 知ることを求め続ける態度,これを「フィロソフィア」と言います。

 ソクラテスの言葉です。

 

◇知らないと言うことを知っている人は,進んで学びます。

 

 でも,大人になるにつれて,知らないことでも知ったように思いこんでしまうこともあるようです。

 その状態を指して,ソクラテスは「自分は本当は知らないのだということを知り,知ろうとし続けることが大切だ」と説いたのです。

 

 教師もまた,学び続けなくてはならないと思います。

 

 学び続けるものだけが,教える資格があると思うのです。

 

◇「若い教師の成功術」(学陽書房)の中で,次のような文章を書いたことがあります。

  

 「学級の状態は教師の才能が反映されるのではない。教師の「努力の量」と「努力の方向」と「努力の質」が反映するのだ。」 

 

 

 失敗したときには,反省をするはずです。

 

 このとき,何を反省するのか,です。

 

 

実力のない若い教師は,自分の実力のなさを反省することでしょう。

 

発問がうまくいかなかったな。

授業の展開が遅くなってしまったな。

 

教師が余計なことまでベラベラと話してしまって,教えすぎたかな。

 

 

このように反省することは,これはこれで,大切でしょう。

 

 

でも,もう一つ,反省の視点をもってほしいのです。

 

 

それは,自分の歩みを,客観的に振り返ることです。

 

つまり,自分のした努力の方向がそもそも合っていたのか,それを振り返るのです。

 

これは,前者の反省とは,趣が異なります。

 

自分の立ち位置や,進むべき道,そういったものを,大きな視点から見直すということです。

 

 

実は,前者も後者も,ある程度,「教師の仕事の全体像」が見えていないと,どちらも「反省」できません。

 

反省もできないのに,「内省」などできません。

 

「省察」もできません。

 

 

反省するには,視点が必要なのです。

 

先に,「発問が悪かったな」という反省をあげました。

 

実は,「発問が悪かったな」と反省ができるには,「発問」という視点を先に持っておく必要がそもそも,あるのです。

 

反省は大切だという人は,多くいます。(大昔から・・)

 

 

でも,反省するには,視点が必要だとは,誰も言いません。

(本当に反省したことあるの?と言いたくなるのは,みんな一緒です。)

 

 

◇フォロソフィアをもって,学び続けてこそ,反省もできるのです。

 

 同じような本でも,買うようにしています。

 ひょっとするとまだわかっていないことがあるのではないか?

 本屋に行くと,気に入った著者の本はずらっと買いそろえてしまいます。



メインページに戻る



information

大前暁政の著書