人間性と技術
◇人間性と技術の両方を高めることが大切だ。
ちょうど車の両輪のようなもので、どちらに偏っても、うまくいかないような気がする。
ただ、気を付けなくてはならないのは、
教育に関する技術のないところに、「愛情をもって指導する」のは極めて難しいという点である。
◇音楽が苦手な、しかも指導もほとんど経験がない新卒教師が、初めて音楽の授業をする。
教師になりたての頃は、子どもの何が良くて何が悪いかもわからない。
何を教えてよいのか、もわからない。
自分に余裕がないから、子どもを、ほめることができない。
もっと言えば、次に何を指導をしていいのかわからないので、子どもを「見ることすら」できない。
そのうちに、退屈になった子どもたちが騒々しくなる。
叱る。
しばらくは静かになる。
ところが,次にどういう指導をしていいのか分からない教師は,余裕がなくなっている。
慌てている。焦っている。
余裕がないからこそ,子どもが見えなくなる。
頑張りも見えなくなる。気付かない。
当然ほめることはできない。
だんだんと子どもたちが騒々しくなる。
叱る。
その繰り返し。
これが愛情をもった指導と言えるか。
まったくもって「冷たい指導」と言わざるを得ない。
本当は,優しい教師。
本当は,愛情豊かな教師。
なのに,いつも叱ってばかり。
技術のないところに、愛情は発揮されない。
これが残念ながら,現場の現実である。
◇音楽の指導を続けていれば、指導の勘所もわかってくるし、定石もわかってくる。
子どもが今、どの地点にいて、現在の課題は何かがパッとわかるようになってくる。
そうなると、指導に余裕が生まれる。
できない子がいても、その子のいいところは誉めて、伸ばしていく指導の技術を選択できる。
技術が伴ってこそ、子どもにとって価値のある「愛情」をもった指導が可能になる。
つまり,愛情を発揮したかったら,「教育技術や方法」を学べばよいのだ。
◇上のことは大前提である。
ただし、以前このような教師を見た。
子どもの前でたばこを吸っている。
お楽しみ会でのことである。
何本も吸っている。当然、辺りには煙が立ちこめている。
何年も前の話だが、ひどい・・。
これは、相手意識に欠けると思う。
と思ったら、その人がある雑誌で、「相手意識が大切だ」というようなことを書いていた。
自分がしてきたことは棚に上げている。情けないが、本当の話である。
技術がどれだけあろうとも、子どもが集まったお楽しみ会でたばこを吸うようでは困る。
教師は、たばこの害を教える側である。子どもに害を与えているのが教師なのだ・・。本末転倒の極みである。
◇やはり、人間性と技術とを両方磨いていく必要がある。